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『君の名前で僕を呼んで』眩しい一夏の戸惑いと、忘れられない恋。...

『君の名前で僕を呼んで』眩しい一夏の戸惑いと、忘れられない恋。

みなさんこんにちは、ご来場ありがとうございます。
本日の上映作品は『君の名前で僕を呼んで(原題:Call me by your name)』という、第90回のアカデミー賞で脚色賞を受賞した作品。

北イタリアの避暑地で、家族とともに過ごす17歳の青年エリオ。
父は古代ギリシャ・ローマ考古学の専門家で、彼の仕事のアシスタントとして大学院生のオリヴァーが招かれます。
穏やかで美しい景観の中、眩しい一夏の、忘れられない恋を描くことで「人として成長することの本質」を表現した映画です。ごゆっくりお楽しみください。

『君の名前で僕を呼んで』

この映画の中心に据えられたふたり、17歳のエリオはティモシー・シャラメという新星の若手俳優が演じ、24歳の大学院生、オリヴァーをアーミー・ハマーが演じています。
ふたりともそれぞれタイプは違えど、どちらもギリシャ彫刻のような美しい出で立ちをしていて、かっこいいですよね。前世でめちゃくちゃ徳を積んでそう……

“俳優”

さて、ティモシー・シャラメ(写真右)の中世ヨーロッパ的かつ中性的な顔立ち(シャレです)はエリオという役にほんとうにぴったりではないでしょうか?
なおかつこの映画に不可欠な恋心をしっかりと、その高い演技力で表現してみせているので、これから間違いなく、多くの名作に関わっていくであろう俳優さんです。

『ソーシャル・ネットワーク』以降多くの話題作に出演しているアーミー・ハマー(写真左)もまた、オリヴァーという役柄にぴったりです。
「24歳にはとても見えへんがな!」という声もあったそうですが、その点も実はこの作品の背景にある「古代ギリシャ」の歴史が大きく関わっているので、これまたエリオ同様、ぴったりなキャスティングなんです。

というのも、古代ギリシャの世界に、少年愛というのが当然のこととしてあったんですね。
通過儀礼のように存在した、成人男性と思春期前後の少年の間にある恋愛関係やプラトニックな関係性のことを言います。
『君の名前で僕を呼んで』の物語は、このカルチャーを根底に流しつつ、原作者のアンドレ・アシマンの哲学が表現された作品なんです。

そしてこの映画はその原作を基に、脚本のジェームズ・アイヴォリーの哲学、監督のルカ・グァダニーノの哲学を込めて表現された映画ということになります。

この辺りは結構いろいろと背景があるのですが、もうほんとそのまま「いろいろあったんだな……」と思っておいてください。

さて、「とにかく美しい!」と各国で話題になったこの作品。
その美しさの理由は3つあります。

1.絶妙な“余白”

“海”

ここで言う”余白”というのは、観て、聴いているときの感覚的なものです。
オリヴァーという人物の持つ”余裕”と同じような魅力です。

夏の眩しい日差しを浴びる、瑞々しいアプリコットの木々や川の揺らぎ、透き通る海、少し背の高い草原の間を縫う砂利道。

その中を、エリオとオリヴァーのふたりは一緒に歩き、泳ぎ、自転車で走っていく。
この情景を映し出す時間が劇中にはいくつもあって、それは、語彙力不足なので感覚的な言葉で表現しますが、
キレイだなあと感じるには十分で、なにか深い意味があるのか?と勘ぐるまではいかないぐらいの、絶妙に少しだけ長い時間なんです。

これは映像的な面だけでなく、そこから聴こえる音に関しても同じ。
ある意味でぴったりじゃないんですね。
逆も然りで、印象に残すには十分、だけど覚えるのには短いと感じる箇所もあります。

この”余白”の使い方があまりにも絶妙なんです。
これは監督を務めたルカ・グァダニーノの技量の高さによるところが大きいでしょう。

2.若さの中の”戸惑い”

“窓”

この映画が描くところは、人生を生きていく中で出会う”戸惑い”です。
それこそが「人として成長すること」に必要なんです。

誰かに恋をするときに、自分の中に生まれる”戸惑い”。あなたにも、身に覚えがあるのではないでしょうか?

相手は自分のことをどう思っているのかとか、これって恋人関係だよね?と突然定義を探し始める感じとか、相手を想うとむず痒くなるような不思議な感覚がして、何か変なことをしてしまう感じとか、これが好きってことなのかなと自分で自分がよく分からない感じとか。

『君の名前で僕を呼んで』は、確かにエリオとオリヴァーの恋を中心にしていて、恋が愛になっていく過程が見てとれます。
しかし重要なのは、ふたりの恋は中心にあるだけだということ。
この映画の中にはマルシア、キアラという女の子も登場するのですが、マルシアはエリオに、キアラはオリヴァーに恋心を向けていることがわかります。
そしてエリオの両親は、その過ぎ行く時間を眺めている。

“少女”

こうやってそれぞれの若者が抱く恋や性への”戸惑い”を、エリオとオリヴァーを中心にして、ふたりと関係を築いていくマルシアやキアラ、そしてそれを見ているエリオの両親も含めた人たちを通じて描いていることで、観ている私たちは、映画の中にいる若者たち、あるいはエリオの両親の中に自分を見出して、まるで同じ一夏を過ごすような感覚になってしまうんです。

この点こそ、『君の名前で僕を呼んで』のストーリーの最大の魅力です。
これによって、映画の美しさが余計に美しく思えてしまうんですよね。

3.的確で優しい”言葉選び”

この点は原作者のアンドレ・アシマンの哲学そのものです。
“余白”にある魅力を含めながら、”戸惑い”を昇華する見事な言葉選びになっています。

これはつまり、音としての言葉としても、文字としての言葉としてもすんごく優れているということです。
例えば、映画のタイトルにもなっているオリヴァーのセリフ。

Call me by your name, and I call you by mine. 君の名前で僕を呼んで。僕は僕の名で君を呼ぶから。

“キス”

このセリフ、正直「なにそれ?」と思えなくもないのですが、これは恋だとか愛だとかいうものにある、大好きな人が自分の一部だとさえ思うということなんです。
でもそれだけではなくて、自分のことを肯定して、好きになるということでもあるんです。

劇中に、これまたオリヴァーの「君の味がする」というセリフとともに、はっきり言って(観ている側にとっては)「うおっ」と思う気持ち悪いことをするシーンがあるのですが、もう一度はっきり言うとそのシーンは別に気持ち悪いと思って差し支えないんです。
それはふたりだけの世界が完成していることの証明でもあるので。

エリオはオリヴァーに抱く自分の気持ちに、そして自分の気持ちがこぼれ落ちることに最初は戸惑います。
それをオリヴァーは、言葉とともに包み込む。そうやっていつしか、ふたりだけの世界が出来上がっていくわけです。
自分の恋心を純粋に嬉しく感じられる優しさが、このセリフにはあるんですね。

“親子”

そしてもうひとつ、エリオのお父さんであるパールマン教授がエリオに伝えた言葉があります。
まさに“余白”にある魅力を含めながら、”戸惑い”を昇華する見事な言葉選びで、これ以上ないほどに、的確で優しくて、勇気の湧く言葉です。

苦痛があるなら癒せばいい。炎があるなら吹き消すな、乱暴に扱うな。炎によって夜に起きていられるなら、それを消すのはひどいことだ

おまえが人生をどう生きるかは、おまえが決めることだ。しかし忘れるな、心も体も与えられるのは一度だけだ。多くの人間は、ふた通りの生き方をしようとする。建前と本音。その中間にも多くの生き方がある。しかし本当の人生はひとつしかない。気がつけば心はくたびれ果て、体はいずれ誰も見てくれない、ましてや近づいてもくれないときが訪れる

これは一部です。
ほんとうはもう少し長い言葉になっています。
省略した理由は、まさにこの言葉が見事に、映画を観る中で感じる”余白”の魅力を残しながら、”戸惑い”を昇華しているからです。
劇中で触れてこそ、あるいは原作をそこまで読んでこそ価値が最大化する言葉なんです。

実は、17歳のエリオも、24歳のオリヴァーも、そしてエリオのお父さんであるパールマン教授にも、原作者のアンドレ・アシマンが投影されています。
17歳の自分、24歳の自分、そして親になった自分をそれぞれ投影しているわけです。

冒頭で、「人として成長することの本質」を表現した映画だと言いましたが、それは、わかりやすすぎず、でも抽象的にもなりすぎない、パールマン教授の言葉の中に全て込められていると私は思います。
それこそがアンドレ・アシマンの哲学なんです。

心にできた喜びも、あるいは悲しみも、それを無理にちぎり取るようなことをしてしまえば、いつか心は失くなる。

言葉だけを見ればわかりにくい部分もありますが、映画を観れば、あるいは本を読めば、きっとこの言葉の意味するところがもっと深く刺さるはずです。ぜひ、観てみてくださいね。

それではまた、次回の上映時間にお会いしましょう。


普段はネットの服屋さんでスタイリングとカメラマンをしています。写真と映画が大好きです。バックトゥザ・フューチャーを観て「為せば成る」が座右の銘になり、何事もやってみるマンに変身を遂げたイギリスと大阪の血を引く25歳です。

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