『キャロル』心の自立と人生の意味

ご来場ありがとうございます。みなさんお待ちかね、Think Of Wonderful Films.略してTOWF(トーフ)のお時間です。お好きな飲物や食事とともにお楽しみください。

さて、2018年最初のTOW FILMSに選んだのは『キャロル』というアンティークな薫りとタバコの煙が漂う美しい一本。
1952年のニューヨークで、お互いに家族や恋人のいるふたりの女性が、たった一度の視線の交わりからどうしようもなく惹かれ合い、ふたりを阻む壁さえすり抜けて愛し合っていく物語です。


「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」

皆さんは、一目惚れの経験はありますか?一目惚れして、付き合って仲を深め、結婚…なんて話もたまに聞きますが、一目惚れってとんでもないことではないでしょうか。
好印象とかはあるでしょうけど、たった一度その人を見ただけで、「あ、好きだ」ってなるのスゲーなと思うんです。ましてやそこから知り合って付き合い、挙げ句の果てには結婚だなんて…なんて、なんて羨ましいんだ。

オシャレにまだ関心のなかった中学生のとき「靴下の見え方があり得ないから無理」とか言ってマッハの速度であまり知らない女の子にまで勝手にフラれたことのある私の本音はそこです。そっちの方があり得ないだろ。今では良い思い出です。

…話を戻しましょう。今作の主演は、ルーニー・マーラとケイト・ブランシェット。ルーニー・マーラは『ドラゴンタトゥーの女』での迫真の演技で知った人も多いのではないかと思います。どこか別の世界からやってきたような、妖艶な魅力を放ちながらもそれが目立ちすぎることはなく、不思議と様々な役にハマっていける女優さんです。

ケイト・ブランシェットはと言いますと、『ブルージャスミン』での演技が彼女のキャリアで最高のものだと言われています。華やかな生活が忘れられずに擦り切れていく不憫な女性を演じ、見事オスカーを手にしました。他にも『アビエイター』や『エリザベス』など代表作の多い、深くミステリアスな瞳が印象的な美しいお方です。

“女優”
『キャロル』はこのふたりの表情や声、視線の動きで魅了してくれます。

ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う

これはコピーライターの眞木準さんの名作のひとつで、ティファニーの「いい夫婦の日」のキャッチコピーになっていました。実に現代にぴったりな言葉だなあなんて思うわけですが、なぜいきなりこんなことを言ったかというと、この『キャロル』という映画では、パートナーと一緒に生きる上でとても大切なことが描かれているからなんです。

この名コピーにあるひとりで生きていけるということの真意が、この映画にはあります。

“買い物”

写真家を目指すテレーズ(ルーニー・マーラ)がクリスマスシーズンのデパートの玩具売り場でアルバイトをしていたある日、娘へのクリスマスプレゼントを探しにきたキャロル(ケイト・ブランシェット)が現れます。

キャロルはテレーズの勧めたプレゼントを購入するのですが、手袋を忘れていってしまいます。送り先伝票から彼女の住所を知ったテレーズはクリスマスカードを添えて、そこへ郵送するんですね。「お礼に」ということでふたりはその後、ランチへ出かけます。

エレガントで洗練された美しい装いのキャロルにはどこか謎めいた雰囲気があって、その上で、心地良く低い声のトーンや、確固たる愛と自信をタバコの煙とともに漂わせるその姿に、テレーズは立ち止まる暇もなく惹き込まれていくのです。

手袋を忘れていったのはわざとなんじゃないか、なんて思いますね。クリスマスシーズンのニューヨークって、ほんっとに寒いんですよ。マイナス10℃とかいきます。そこで手袋を忘れるなんて、確信犯としか思えません。「探さない、待つの」って、そんなお笑いのネタがありましたが、そういうことでしょうか(たぶん違う)。

まんまと(?)キャロルを好きになっていくテレーズにも実は恋人がいます。早く一緒になろうと言われていたのですがそれをプレッシャーに感じており、自身の夢への不安も相まって大きなストレスを抱えていました。

一方でキャロルは、離婚訴訟の真っ只中におり、愛する娘の親権を激しく争っていたところだったのです。妻も娘も離したくないキャロルの夫は愛のために奪う手段を厭わないタイプで、キャロルは孤独の時間を過ごすことになります。

ふたりの心にできた隙間は偶然にもクリスマスを前に重なり、ふたりは”ストレスからの逃避行”として、ひたすらに西へと車を走らせながら、互いの恋心も加速させていくんです。

“クラシックカー”

この映画のすごいところは、そのストーリーや映像だけではなく、キャロルとテレーズのアンティークなファッションや古いニューヨークの街並み、クラシックカーなど時代独特の『美しさ』と、キャロルという女性の”色気”がひとつ。

そしてもうひとつ、”生き方を選択する”ということの映画でもあると言えるところです。美しいロマンス映画でありながら、同時にヒューマンドラマでもあるわけです。

“色気”とは”整理された自信”のこと

キャロルは、いい意味で『相手に気を使わない』のです。こんなこと言ったらダメかな、こんなお願いしたら怒られるかな、わがままって思われるかな。人間関係を築くとき、こうした考えが浮かぶのはよくあることです。しかしキャロルにはそれがありません。
強引にも思える誘いも、一足飛びのような提案も、かける言葉も、ひとつひとつに重みがあるんです。

美しいと思う服を着て、相手にふさわしいと思うものをプレゼントし、美しいと感じるものには美しいと言い、間違えたと思えば間違えてしまってごめんなさいと言い、愛している人には、愛していると言う。

彼女は、自分の感情を、嘘偽りなくちゃんと現実にしているんです。だけど、自分の価値観を相手に押し付けることは決してしない。「私が誘うんだもの、喜ぶにきまってる」なんて傲慢な考えも持っていません。

ただ、あるのは「選ぶのはいつだって自分自身でしょう」という、”心の自立”の表れなんです。予告編に登場しているセリフがそれを象徴しています。
「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」
そうして整理された心の状態は”自信”と呼ぶことができ、それが”色気”として表舞台に立つわけです。

“ファッション”
なんてセンスしてんだ

テレーズは少し引っ込み思案というか自信なさげで、どっちつかずで他人に流されてしまうタイプの女性なんです。写真家を目指してニューヨークに来たはずなのに、誰かがポン、とチャンスをくれるのを待っているような節があります。

キャロルの家で、テレーズはこう問われます。「それがあなたの夢なの?写真家が」と。

「ええ、私に才能があるのなら。売るために誰かに作品を見せたこともないし、カメラも安物だけど…」

テレーズがこう答えてしまう気持ち、めちゃくちゃわかりませんか?何かになりたいと願える人は、とても素晴らしいです。ところが人と違う道を生きようとすることは、少ししんどいものです。自分だけの孤独、自分だけの苦悩と向き合わなければなりません。そこでちょっとした言い訳というか、プラスではないことを言ってしまったり、言いたくなるのも無理はないでしょう。それに対して、キャロルはこう答えます。

「才能があるかは他人が決めることよ。あなたは努力を続ければいい。正しいと思うことをやり、流れに身を任せて」

ハッとする一言、まさに名セリフです。ここでドヤ顔することもなくタバコに火をつけて煙を吐く姿がまたかっこいいんですよね。

テレーズはここから、自らの意思で『選択』してキャロルとの時間を過ごし、写真家としてポートフォリオの作成にかかっていく。どっちつかずで他人に流されてばかりだった彼女が、ひとつひとつを選び取っていくようになるんです。

キャロルとテレーズは、タイプはまったく違います。真逆とも言えるでしょう。ただ、二人に共通していたことが、ひとつあります。

男性のパートナーが、愛情ゆえに、相手をコントロールしようとしてしまう人だった

これなんです。
「どうして言うことを聞いてくれないんだ。君のためにこんなことまでしたのに」
ケンカになると、こうしたニュアンスのことを言ってしまうわけです。そして相手のやらんとすることを否定する。ただの~じゃないか、意味がないだろう、夢を見てるんじゃないよ、とかね。

それは結局、相手のためを思ってという優しそうな言葉に包まれた小さな毒薬のようなもので、徐々に相手を蝕んでしまうこともあるんです。相手のために、というのなら、まずは相手の話を聞かなければならない。

そして、相手のために相手の話を聞くことができる人は、自分のことを知ろうとする人だったりします。自分を知り、そして『自分のために、なにを選択するか』ができることで自分に自信を持つことができ、色気というものが形成されていく。言うは易しなのでどんどん仮説を言います

真逆の性格にも思えるキャロルとテレーズは一緒にいることを『選択』し合い、やがて愛し合うようになりますが…そんなふたりの間には、大きな壁が立ちはだかります。ふたりの恋が果たしてどうなるか。それは例によって観てのお楽しみです。

“キャロル”

ここで重要なのは、別にふたりは、同性愛者として生きてきたわけではない、ということです。私は同性愛者なのね!と気づいた、なんて描写もありません。その必要もないでしょう。なぜなら、愛した人がその人だっただけなんですから。心に従って、人生に意味を見出したのです。

ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う

ひとりで生きていける、というのは、心が自立しているということ。
心が自立している、というのはつまり、自分で選択することができるということなんです。

たとえ相手がどんな人であろうとも、それは関係のないこと。戸惑うことはきっとあるけれども、自分の選択に自分で責任をもつことができるなら、大丈夫。生きていくことは、そういうことで良いのかもしれません。

それではまた、次回の上映時間にお会いしましょう。


普段はネットの服屋さんでスタイリングとカメラマンをしています。写真と映画が大好きです。バックトゥザ・フューチャーを観て「為せば成る」が座右の銘になり、何事もやってみるマンに変身を遂げたイギリスと大阪の血を引く25歳です。

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